セミとスイカ

おばあちゃん家の近くにあるラーメン屋に行くと最近はせつない気持ちになる。


その店は帰省するたびに小さい頃から訪れている店でおばあちゃんはよく行くから店の人と顔見知りである。
カリカリの餃子とシンプルで無駄のない味の野菜ラーメンが名物であってしょうゆベースの細麺は私の好きな味。


昔は何も考えずただ食べていたのだが最近はどうも色々考えてしまって行きたいけど行くとせつなくなり、うむむ・・という感じだ。
店の人は3人くらいいて2人は多分70代であって動きがぎこちなくなってきてる。そして店内もどこか古くなってきていて、趣味か何かのカメラがショーケースに飾られてあるのだが、ほこりをかぶっている。昔はすごく混んでいていつも並んでいた気がするが近年は結構席が空いている。祖母の意見では味が鈍く濃くなってしまったそうだ。
それなのにお店の人はやさしく出迎えてくれ、水をこまめに注いでくれ、テーブルはいつもきれいに磨かれ、会計の後はちゃんと飴をくれる。その店は原発の近くにあって街自体最近はどことなく寂しい。
この何ともいえない終末を予感してしまうようなせつなさが居心地が良いとは言えないよ。


そういえば祖母の弟はケーキ屋をやっていたのだが、数年前にガンになり、もう末期で店を閉じた。この前会いにそのケーキ屋に行った時、がらんどうのショーケース、暗い店内、古くなった見本、長年使ったレジなんかを見て寂しかった。私が小さい頃はその店で、健康だったそのおじさんと、一緒にケーキを作らせてもらったものだ。私は昔イチゴが苦手だったので、クリームとスポンジだけのショートケーキを特別に作らせてくれ、側面を器用にぬる時、手を添えて一緒にやらせてくれたあの手つきをうっすらと覚えているよ。


さいころからおばあちゃん家には休みごとに泊まって、夏休みなんかは1カ月近く住んでいた。宿題とかも持って行ったけど全然はかどらなくておばあちゃんと海や川に行って遊んだり、午前中にアニメを見たり、セミを捕まえたり、そういうことが記憶にぼんやりと残っている。途切れることのないセミの声とうだるような暑さとひんやりとした水の冷たさを覚えているよ。
でも最近は祖母がめっきり老けてしまった。髪は白髪になってしまったし、歩くのがつらそうだ。家の中は時間が止まってしまったようで毎日が
日曜日だ。昔は帰省するのが楽しみでしょうがなかったが、今では何かと予定を入れて滞在日数を少なくしてしまう自分がいる。あと一緒に過ごせる時間なんて限られているのに。でもどうしても何か違うというか、昔のあの夏休みの私にはもう戻れないんだなあと感じてしまう。


老いていく祖母と夏の記憶。