最近はヒマラヤだ。

最近はやることがなく、いわゆるヒマラヤである。
いや、卒論を書くというとてもやらなくてはいけないことがあるが、サークルとかバイトとか団体競技はもう引退しました。こんな暇なのは高校のいつかぶりであって、どう向き合えばいいのかわからない。憧れが手にはいると蛙になるあれと似ている。しっかりと準備し、電車はきちんと座り、学校に行きました。サンスクリットの世界という授業が五限に32号館の三階の端の大きな教室であり、私は教室の右寄りの真ん中ら辺に座る。授業後は図書館へ行き、本を一冊借りた。
メールを待つということは際限のない虚しさであり、私には高分子の膜を破る人の気持ちが全くわからない。細々とたまった統計によると、次に返信がくるのは14日の午後11時あたりが70パーセント、10日の夜12時あたりが30パーセントである。興味があるのか、ないのか。忙しいのか、わざとなのか、不可解で複雑怪奇である。
こんな本を自分で作れたら死んでもいいという文章があって、それはとても重要だ。しかし友達に貸したら春が過ぎ夏も過ぎ、もう秋だよ。図書館で借りてきたものはハードカバーのまさかの第一版であって、所々違うというか全然違う。
極地の生活には無駄なものは無くて、私は人間がただ生きることが素敵だと思う。鳥を捕まえアザラシを仕留める生活は、信じられないような美しさの自然の中、日常だ。